自分を守るための攻め
2002年10月20日ヒトは、自分の弱さを隠すために、
時に、守りに入ることがある。
どんな場面でも、攻めている時、ヒトは強い。
そして、自分の無力を知っている時、ヒトは攻める。
でも、少し力をつけてしまったヒトは、
攻めることを忘れ、自分を守るための攻めをする。
つまり自分が失敗しないために相手を攻撃することが、
「自分を守るための攻め」です。
最近、自分も含め、周りの先輩、後輩が仕事上、
プライベート上で、このような自分を守るための攻めをしています。
自分が失敗してもいい、って思って攻めているときって、
そのヒトは輝いている。
たとえ、失敗しても、輝いている。かっこいい。
でも、自分を守るための攻めをしている時、
ヒトはすごく汚く見える。
自分を守るために、ヒトを攻撃し、勝ったとしても
何も自分のプラスにならないし、
攻撃されたヒトはイヤな気分になるだけ。
例えば、
「わたし、ダイエットしようと思っているの。
毎日、10キロランニングしようかな」
と言っているヒトに対して、
ダイエットに失敗したヒトが
「ダイエットするのかあ。
でもね、10キロランニングは無理無理。
やるだけ、無駄やから、やめとき、やめとき!」
って言うヒト。
これは、自分がダイエットに失敗したことを
否定しないための、攻撃。
ダイエットで成功するかもしれないヒトの希望を
摘んでしまう哀しい行為。
この例え話では、上手く説明できないけど
ヒトの行動に対して、ダメだしをしたり、
「でもね」で切り返すのは、よくないと思うんだよね。
わたしもついつい言っちゃうんだけど、
相手にとっては、心地のイイ話じゃないし、
しかも、それが自分の行動を否定しないための
守りの攻めって、わかった途端、自己嫌悪に陥るよ。
ヒトは、色んなことを経験すると、
それを、悟りとして「◎◎=▽▽」という方程式を作ってしまう。
でも、人生そんな簡単な方程式で済ませられるほど甘くない。
だから、時として「◎◎=◆▽」ってこともありえる。
その◆▽の可能性を、自分の守りのために、
知らないままでいるのは、もったい。
だいぶ歳をとってしまったわたしですが、
明日からは、自分を守る攻めじゃなくて、
新しい可能性を探る攻めをしようと思う。
よっしゃ。やるでー☆
時に、守りに入ることがある。
どんな場面でも、攻めている時、ヒトは強い。
そして、自分の無力を知っている時、ヒトは攻める。
でも、少し力をつけてしまったヒトは、
攻めることを忘れ、自分を守るための攻めをする。
つまり自分が失敗しないために相手を攻撃することが、
「自分を守るための攻め」です。
最近、自分も含め、周りの先輩、後輩が仕事上、
プライベート上で、このような自分を守るための攻めをしています。
自分が失敗してもいい、って思って攻めているときって、
そのヒトは輝いている。
たとえ、失敗しても、輝いている。かっこいい。
でも、自分を守るための攻めをしている時、
ヒトはすごく汚く見える。
自分を守るために、ヒトを攻撃し、勝ったとしても
何も自分のプラスにならないし、
攻撃されたヒトはイヤな気分になるだけ。
例えば、
「わたし、ダイエットしようと思っているの。
毎日、10キロランニングしようかな」
と言っているヒトに対して、
ダイエットに失敗したヒトが
「ダイエットするのかあ。
でもね、10キロランニングは無理無理。
やるだけ、無駄やから、やめとき、やめとき!」
って言うヒト。
これは、自分がダイエットに失敗したことを
否定しないための、攻撃。
ダイエットで成功するかもしれないヒトの希望を
摘んでしまう哀しい行為。
この例え話では、上手く説明できないけど
ヒトの行動に対して、ダメだしをしたり、
「でもね」で切り返すのは、よくないと思うんだよね。
わたしもついつい言っちゃうんだけど、
相手にとっては、心地のイイ話じゃないし、
しかも、それが自分の行動を否定しないための
守りの攻めって、わかった途端、自己嫌悪に陥るよ。
ヒトは、色んなことを経験すると、
それを、悟りとして「◎◎=▽▽」という方程式を作ってしまう。
でも、人生そんな簡単な方程式で済ませられるほど甘くない。
だから、時として「◎◎=◆▽」ってこともありえる。
その◆▽の可能性を、自分の守りのために、
知らないままでいるのは、もったい。
だいぶ歳をとってしまったわたしですが、
明日からは、自分を守る攻めじゃなくて、
新しい可能性を探る攻めをしようと思う。
よっしゃ。やるでー☆
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