何かに夢中になりたい。
2002年11月30日私は、今、とても焦っている。
今、何をやらないとイケナイのか
いや、何かをやらないといけない、と思って
焦っている。
何度もこの日記で書いているように、
私は、今、大学生のアカペラグループにはまっています。
彼らのグループ名は、コレクション。
彼らは京大の大学生。
もうすぐ卒業を迎えるひと、院に行くヒト、
国家試験を目指しているヒト、まだ大学生を続けるヒト
当たり前なんだけど、フツーの大学生、京大生が
歩むフツーの人生を、彼らも歩もうとしています。
それは、数年前の私と同じ。
彼らは今アカペラというものが好きでしょうがない。
歌うことが好きでしょうがない。楽しくてしょうがない。
そんな雰囲気がとても伝わってきます。
だから、だから、強行日程であっても
自分達それぞれの勉強をがんばっていても
日程を決めて、ライブを行っている。
北から南まで横断しても、京都のいろんなところでも
彼らは歌う。歌い続ける。
歌うことの楽しさ。
彼らは、それを、私達に伝えてくれた。
さて、私は、大学時代、何をしていたのか?
彼らみたいに、夢中になれることはあったのか?
あった。
いや、
あったような気がする。
私は、高校を卒業後、浪人することを決意した。
その時、たっぷりとある時間を使い、
自分が何になりたいのか、
これからどんな人生を目指したいと思っているのか
いっぱいいっぱい考えた。
そして、見つけだした1つの目標。
スポーツ記者になること。
小さい頃からずっとスポーツをやってきて
高校時代はスポーツを通して、
めっちゃ苦しいことも、めっちゃ嬉しいことも
いっぱい経験しました。
それによって、自分自身が成長できたこと、
たくさんありました。
で、やっぱりそういうふうに、苦しいことを
乗り越えようとしているヒト、
そういうヒトを応援していきたい、
苦しいことは、決して悪いことではなく
イイことなんだよ、
その後に必ずイイことが待っているんだよってこと
もっとたくさんのヒトに伝えたくて、
スポーツを通して伝えることが、
自分にとって一番表現しやすいと思った。
だから、スポーツ記者を目指しました。
一方で、私は、自分の考えていること
思いを、表現すること、
特に文章にして書くことが、子供の頃から好きだった。
大学では、もちろん体育会系の
何かスポーツをするつもりだった。
でも、やりたいな、と思えるスポーツには出会えなかった。
スポーツ新聞部でも入って、
将来スポーツ記者になるための勉強でもしとこうかな、
そんな気持ちで入った大学のスポーツ新聞部。
体育会の活躍を伝える大学公式のスポーツ新聞を
作ることになった。
今まで知らないスポーツに出会え、色んなことを学んだ。
それぞれのスポーツの楽しみ方を知った。
楽しかった。
その自分が思った「楽しい」と思える感覚を
できるだけたくさんのヒトに知ってもらいたい
と思って、新聞を作った。
マイナーなスポーツだって、楽しい。
活躍している選手がいるってこと、
いっぱいいっぱい知ってほしくて、
そういう紙面作りをした。
スポーツに興味がない学生にも、
スポーツの楽しさを知ってもらいたくて
スポーツ以外のお楽しみ企画も、力を入れた。
スポーツの楽しさを知ってくれたヒトは
一人だったかもしれない。
でも、確実に、今までの新聞とは違ったし
違ったことを実感してくれたヒトもいた。
私は、学生相手だったけど、確実に
自分の伝えたいメッセージを届けることができたと思う。
私がスポーツ記者を目指すことを止めたのは
思ったよりも、早かった。一回生の終わりだった。
大学のスポーツ新聞とはいえ、
記者は記者。新聞は新聞。
読み手がいるから、書き手がいる。
本当に書きたいこと。
自分が表現したいように表現しても、
読者が読みたいものでなければ、
その表現したものは、ボツになる。
大学生が作る新聞であっても、読み手は大事。
学生や、体育会関係者が、読んで、納得できるものを
届けるのが、自分達の使命だってこと、わかっていたから
ちゃんと読者を意識した文章を書いた。
自分の表現したい方法を止めてまでも、
使命に従った。
しかし、ほんものの新聞は、もっと厳しいんだろうこと
わかっていた。
このまま、スポーツ記者になってしまったら
私の大好きな書くということまでも、
キライになってしまいそうだ。
自分の表現したいことも、制限され、
書きたくない表現を使い、自分の記事として
世の中に出す、そんなことはしたくないし
そんなことしたら、
書くという作業を止めたくなる日がくる。
そうなったら、私は何を頼りに生きていけばいいんだろう?
大袈裟かもしれないが、そう思うと、とても恐くなった。
そして就職活動の時、私は、
スポーツ記者を目指しはしなかった。
そして、現在。
私は、教育関係の仕事をしている。
スポーツとは全く関係のない仕事。
仕事は仕事で、楽しいと思える時もあるし
今持っているテーマをやり遂げたいと思っている。
今まで、この4年間は、悩みながらも
今ある仕事の目標に向けて走り続けてきた。
一方で、私は、ある捜し物をしていた。
夢中になれるもの。
仕事で一生懸命だった4年間は、
その捜し物をしつつも、
仕事だけで精一杯だった自分がいた。
でも、今は違う。
仕事は少し余裕が出てきた。
というより、仕事以外の夢中になれるものがないと
どうも生活がマンネリ化してきた。
いや、自分の生活をどうして行きたいのか、
わからなくなってきた。
だから、夢中になれるものを、捜すのに
私は、必死になっている。
夢中になれるもの、そして、それが
他のヒトに影響を与えられるもの、
そういうものを捜している。
夢中になれるものを捜して
カメラや色彩の勉強をした。
でも、中途半端に終わった。
仕事にかける時間が多くなり過ぎて
夢中になれるものに、時間を注げなかった。
それは、1つの理由に過ぎない。
本当は、夢中になりきれなかった自分の気持ちに
問題があるのかもしれない。
もう一度、色彩の勉強し直そう
時々そう思う。
でも、行動に移せない。
また、中途半端に終わるのではないか?
そう思うと、手が出せない。
色彩は、仕事として使って始めて
自分を表現できる機会をもらえる。
その日が来るまで、一体何年かかるのだろうか?
そう思うと、今、今、踏み切ることができない。
そのような感じで、私は、まだ夢中になれるもんを
見つけてはいない。
コレクションのライブ。
今日は、コレクション一人一人のコレからの話を
聞かせてくれた。
ちょっとしたプライベートの話もしてくれた。
彼らは、数年前の私と同じだった。
今彼らが持っている時間、感覚、空間が永遠のモノであると
信じている、その気持ち、私も持っていたもの。
今、私は、何をしないといけないのだろう?
大学生の頃思っていた感覚、時間、空間が
永遠のものでないことを知ってしまった社会人として
私は、夢中になれるものを、本当に捜し出せるのだろうか?
今日の夜は、じっくり考える時間にしよう。
今、何をやらないとイケナイのか
いや、何かをやらないといけない、と思って
焦っている。
何度もこの日記で書いているように、
私は、今、大学生のアカペラグループにはまっています。
彼らのグループ名は、コレクション。
彼らは京大の大学生。
もうすぐ卒業を迎えるひと、院に行くヒト、
国家試験を目指しているヒト、まだ大学生を続けるヒト
当たり前なんだけど、フツーの大学生、京大生が
歩むフツーの人生を、彼らも歩もうとしています。
それは、数年前の私と同じ。
彼らは今アカペラというものが好きでしょうがない。
歌うことが好きでしょうがない。楽しくてしょうがない。
そんな雰囲気がとても伝わってきます。
だから、だから、強行日程であっても
自分達それぞれの勉強をがんばっていても
日程を決めて、ライブを行っている。
北から南まで横断しても、京都のいろんなところでも
彼らは歌う。歌い続ける。
歌うことの楽しさ。
彼らは、それを、私達に伝えてくれた。
さて、私は、大学時代、何をしていたのか?
彼らみたいに、夢中になれることはあったのか?
あった。
いや、
あったような気がする。
私は、高校を卒業後、浪人することを決意した。
その時、たっぷりとある時間を使い、
自分が何になりたいのか、
これからどんな人生を目指したいと思っているのか
いっぱいいっぱい考えた。
そして、見つけだした1つの目標。
スポーツ記者になること。
小さい頃からずっとスポーツをやってきて
高校時代はスポーツを通して、
めっちゃ苦しいことも、めっちゃ嬉しいことも
いっぱい経験しました。
それによって、自分自身が成長できたこと、
たくさんありました。
で、やっぱりそういうふうに、苦しいことを
乗り越えようとしているヒト、
そういうヒトを応援していきたい、
苦しいことは、決して悪いことではなく
イイことなんだよ、
その後に必ずイイことが待っているんだよってこと
もっとたくさんのヒトに伝えたくて、
スポーツを通して伝えることが、
自分にとって一番表現しやすいと思った。
だから、スポーツ記者を目指しました。
一方で、私は、自分の考えていること
思いを、表現すること、
特に文章にして書くことが、子供の頃から好きだった。
大学では、もちろん体育会系の
何かスポーツをするつもりだった。
でも、やりたいな、と思えるスポーツには出会えなかった。
スポーツ新聞部でも入って、
将来スポーツ記者になるための勉強でもしとこうかな、
そんな気持ちで入った大学のスポーツ新聞部。
体育会の活躍を伝える大学公式のスポーツ新聞を
作ることになった。
今まで知らないスポーツに出会え、色んなことを学んだ。
それぞれのスポーツの楽しみ方を知った。
楽しかった。
その自分が思った「楽しい」と思える感覚を
できるだけたくさんのヒトに知ってもらいたい
と思って、新聞を作った。
マイナーなスポーツだって、楽しい。
活躍している選手がいるってこと、
いっぱいいっぱい知ってほしくて、
そういう紙面作りをした。
スポーツに興味がない学生にも、
スポーツの楽しさを知ってもらいたくて
スポーツ以外のお楽しみ企画も、力を入れた。
スポーツの楽しさを知ってくれたヒトは
一人だったかもしれない。
でも、確実に、今までの新聞とは違ったし
違ったことを実感してくれたヒトもいた。
私は、学生相手だったけど、確実に
自分の伝えたいメッセージを届けることができたと思う。
私がスポーツ記者を目指すことを止めたのは
思ったよりも、早かった。一回生の終わりだった。
大学のスポーツ新聞とはいえ、
記者は記者。新聞は新聞。
読み手がいるから、書き手がいる。
本当に書きたいこと。
自分が表現したいように表現しても、
読者が読みたいものでなければ、
その表現したものは、ボツになる。
大学生が作る新聞であっても、読み手は大事。
学生や、体育会関係者が、読んで、納得できるものを
届けるのが、自分達の使命だってこと、わかっていたから
ちゃんと読者を意識した文章を書いた。
自分の表現したい方法を止めてまでも、
使命に従った。
しかし、ほんものの新聞は、もっと厳しいんだろうこと
わかっていた。
このまま、スポーツ記者になってしまったら
私の大好きな書くということまでも、
キライになってしまいそうだ。
自分の表現したいことも、制限され、
書きたくない表現を使い、自分の記事として
世の中に出す、そんなことはしたくないし
そんなことしたら、
書くという作業を止めたくなる日がくる。
そうなったら、私は何を頼りに生きていけばいいんだろう?
大袈裟かもしれないが、そう思うと、とても恐くなった。
そして就職活動の時、私は、
スポーツ記者を目指しはしなかった。
そして、現在。
私は、教育関係の仕事をしている。
スポーツとは全く関係のない仕事。
仕事は仕事で、楽しいと思える時もあるし
今持っているテーマをやり遂げたいと思っている。
今まで、この4年間は、悩みながらも
今ある仕事の目標に向けて走り続けてきた。
一方で、私は、ある捜し物をしていた。
夢中になれるもの。
仕事で一生懸命だった4年間は、
その捜し物をしつつも、
仕事だけで精一杯だった自分がいた。
でも、今は違う。
仕事は少し余裕が出てきた。
というより、仕事以外の夢中になれるものがないと
どうも生活がマンネリ化してきた。
いや、自分の生活をどうして行きたいのか、
わからなくなってきた。
だから、夢中になれるものを、捜すのに
私は、必死になっている。
夢中になれるもの、そして、それが
他のヒトに影響を与えられるもの、
そういうものを捜している。
夢中になれるものを捜して
カメラや色彩の勉強をした。
でも、中途半端に終わった。
仕事にかける時間が多くなり過ぎて
夢中になれるものに、時間を注げなかった。
それは、1つの理由に過ぎない。
本当は、夢中になりきれなかった自分の気持ちに
問題があるのかもしれない。
もう一度、色彩の勉強し直そう
時々そう思う。
でも、行動に移せない。
また、中途半端に終わるのではないか?
そう思うと、手が出せない。
色彩は、仕事として使って始めて
自分を表現できる機会をもらえる。
その日が来るまで、一体何年かかるのだろうか?
そう思うと、今、今、踏み切ることができない。
そのような感じで、私は、まだ夢中になれるもんを
見つけてはいない。
コレクションのライブ。
今日は、コレクション一人一人のコレからの話を
聞かせてくれた。
ちょっとしたプライベートの話もしてくれた。
彼らは、数年前の私と同じだった。
今彼らが持っている時間、感覚、空間が永遠のモノであると
信じている、その気持ち、私も持っていたもの。
今、私は、何をしないといけないのだろう?
大学生の頃思っていた感覚、時間、空間が
永遠のものでないことを知ってしまった社会人として
私は、夢中になれるものを、本当に捜し出せるのだろうか?
今日の夜は、じっくり考える時間にしよう。
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